昭和42年10月16日 夜の御理解


 おかげを頂いてそれにもうひとつこれがおかげになっておったら、もう言うことはなかったんだけれども、といったようなことを申します。例えて申しますなら、ほんとに今年は私共でも初めてのことでございましたが、お湿りがないということ。干ばつで何もかにもが干上がってしまうというようにございましたのが、昨日、一昨日、先一昨日二日間じっくりお湿りを頂きました。その後こうした昨日、今日天候のおかげを蒙りました。これがどうでしょうか。あのお湿りを頂かんままに今日の御大祭ということであったら、ほんとにこの秋晴れの天候の中にこのような有り難い御大祭を頂きまして有り難うございますと言うてもです、なんとはなしに私だけが、又は私共だけが喜んでおるわけにはいけないという感じがするじゃないですか、ね。私は思うておりました。例えこれが御大祭の当日でありましても本当にこれだけ沢山の人が待望しておるところのお湿りがありますならば、私はそれはかんまんと思うておりました。よしそれが御大祭の日に雨であろうが風であろうがです、それはもうほんとに何ヵ月という間お湿りに恵まれずそれこそ、なにもかにもが枯れ上がっていこうというのでございますからね。ほんとに今日はこういう待望のいや待望ではない、こういう好天気に恵まれてこの御大祭を奉仕させて頂くということは有り難いことでございますというても、いっこう有り難くないのじゃなかろうかと思うですね。そうでしょうが。自分よがりですもんそれは。けれどもですね、今申しますように待望のお湿りを一昨日から先一昨日にかけてじっくり頂かせて頂いて昨日、今日のこのお天候に恵まれて初めてほんとにおかげである、ほんとに天候に恵まれて有り難いということになるのでございます。
 私は今日の教祖大祭併せて今日の開教式というのがです、そのような気が致します。云うならば言うことのない何ともお礼の申し上げようのない、ほんとに有り難いというお祭りと私はこう思うのです。初めてほんとに有り難いのであり、ほんとに神様も喜んで下さり私共も喜ばせてもらえれるお祭りとしてのおげが頂けれる、ね。
 私はそんなこと神様にお礼申させて貰い、今日の御大祭のどういうような心持ちでおかげを蒙りましたならばよろしゅうございますでしょうかということをお礼を申しましておりましたら、神様から頂きますことでございます、ね、私を含めて皆がどのようなことになっても、どのような時であってもどのような場合でも驚かんで済むというか、いつも喜びでいっぱいというか、安心しておれれるというような心の状態というか、おかげを受けていないにも拘わらずおかげでお湿りがないから濡れんで済むのうという言葉を頂きました。これはどうでしょうか。もう今にも降りそうなぼちぼち雨が降って来た。もう不安でたまらないというようなところがそういうような時であってもです、安心のおかげを頂いておればおかげを頂かれるのだけれども、実を言うたら私だって皆だってそのようなおかげを頂いていない。云うならばです、ね、何処かへ行きよった時途中で曇ってきた。ぼつぼつ雨が落ちて来た。ああこりゃどうしようかと思うて急がなければならなかったり濡れなきゃならなかったりというようなことではなくてです、ね、云うならば傘を忘れてきておるようなものなんだけれども、云うならば傘を置き忘れてきておるようなものなんだけれどもおかげで降らなかったからおかげでということなんです。私それを頂いてほんとにそうだと思うです。皆さんだってほんとに私はそれだけの信心を頂いて、自分の例えば思いやら真心には不浄もない真心いっぱいだと神様おかげ下さるのは当たり前、当然だというような私は信心が頂けておられる方は私は一人だってなかろうと思うね。ほんとに安心の傘は何処かへ置き忘れておるんだけれども、おかげでお天気であるからということは、おかげでこのようにあれも整いこれも整いしてからおかげを頂いておるから安心じゃのうという神様の御神意であると私は思いました。これは御大祭を迎えただけのことじゃありません。お互いが日常生活の上に於いてです、様々な場に於いて様々な場において御用を頂いておる事がです、何にもないから云うならか平穏無事だから、安心しておれれるのだけれども、ほんとにこれだけのおかげを頂けて行けれる受け物も安心も頂いていないのだけれども、このようなおかげを頂いて有り難いぞということになる。云うならば信心も出来ませんのにこのようなおかげを頂いてということになるのじゃないかとこう思うんです。ですから、そういう心持ち、そういう私は心境でですたいね、今日の御大祭は頂かなければならないとこう思うのでございます。
 信心もできませんのにこのようなおかげを頂いて有り難うございます。とそこに私は今日のお祭りを奉仕し迎えさせてもらい頂かせてもらう者の心掛け、そこにほんとに信心も出来ませんのにそこに私は実意丁寧神信心、謙虚な私共の信者氏子としてのいや合楽信奉者としての今日の御大祭に対する姿勢を感じます。
 そういう心の状態、私の信心が私共がでけとるからこういうようなおかげを頂いたといったようなものが、もうさらさらこれから先でもあっちゃならんといったようなものを感じます。そこに謙虚な今日はあっちこっちからここに信奉者、ここの信奉者というわけではない他教会の信者さん方やお互いの先生方やら色々な方がお見えになられることでございましょう。その方達に見て貰い感じてもらうということではないのですけれども、そういうような私共の心構えというか信心態度が自ずとお広前全体に張るような有り難いお祭りでなからなければならんと思うのでございます。どうぞ、宜しくお願い致します。